今日は七月七日。
毎年、一緒に過ごし続けている七夕の夜。
香穂子は心配しているだろうか。
さっきから何度もメールをくれている。
心配しないように何度も返信のメールを入れながら・・・。
声が聞きたくて。
メールではなく直接かけてしまいそうになるのを何とか踏みとどまる。
君を喜ばせたいんだ・・・。
そんな想いがぐっとこみ上げてくる。
確かこの辺だとクラスメートが言っていた。
かなり遠く、わかりずらい場所にあるけれど。
何も知らない君にそっと持ち帰って幸せを贈りたい。
そんな想いで月森はずっと歩き続けていた。
まだ日が落ちる前からずっと急ぎ足で歩いていたからさすがに額から汗が流れ落ちてくる。
流れる汗を手の甲でぬぐうとまた歩みをもっと早めていく。
道行く人にたずねつつ香穂子の願い、そして自分の想いを叶えるために。
ひとつの目的に向かって歩き続けた。
七夕の夜に愛しい一人の女性のために・・・。
その願いを叶えるために・・・。
今日は7月7日。
香穂子と出会ってからずっと・・・。
日本にいた時は毎年、香穂子の喜ぶ顔が見たくて。
そしていつの間にか自分の願い事も叶えてほしくて。
月森の家に香穂子を呼び平日だとしても休日だとしても七夕の夜を一緒に過ごしてきた。
2人揃って願い事を書いた短冊を結びつけた笹を月森の家のベランダに飾り
星空を眺めながら過ごすひとときそのものが月森にとっても香穂子にとっても幸せな願い事・・・。
今日は香穂子がドイツに来てから初めて2人で迎える七夕の夜なのだ。
今日の朝・・・ここにいる間は七夕に笹の葉っぱに2人の願い事を飾るのは無理だろうなと
月森の熱い腕の中でまどろむ香穂子が残念そうに呟いていたのを思い返す。
「蓮くんの大学までついていっちゃおうかな?
今日はなんだか離れたくないの」
今日、大学が休みの香穂子がふざけて月森の腕にそっとその腕をからめてくる。
柔らかなその感触にどきりとしながらそのまま引き寄せて腕の中に閉じ込める。
さっきまで抱き合って愛し合っていたのにそれでもこうしたふとした触れ合いに
鼓動が跳ねてどうしようもないほど香穂子のことを愛していると感じる・・・。
もっと触れ合いたい。
側にいたい。
そしてすぐに腕の中、深く、深く、閉じ込めたくなってしまう。
月森にぎゅうと閉じ込められた腕の中でふいうちに抱きしめられて
頬染める香穂子と視線を合わせながら思わず幸せな笑みが零れてしまう。
「うそうそ。冗談だよ。ちゃんと家で待ってるからね」
「だめだ。さっき君がついてくると言っただろう。だから・・・つれていく」
「冗談だってば。今日は待ってるから・・・。でも早く帰ってきてね!」
「わかった・・・。なるべく早く帰るから・・・あまり出歩かないように」
「うん。わかってる」
香穂子がまた言ってるというようにくすくす笑うのを見て月森も苦笑する。
香穂子を縛るつもりはないがやはり心配でしかたないのだ。
いや・・・。やはり縛りたいのかもしれない。
自分の側に。
ずっといてほしいのだ。
ずっとその願いを叶えたくて。
短冊にも毎年願いをこめていた。
そして今もその願いは叶えられている。
月森だけでなく香穂子の願いでもあることがまた月森を幸せにしてくれる。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。いってくる」
香穂子が背伸びをして月森の首に手を回しその唇にちゅっと口づけると
月森は嬉しそうに頬ゆるませて柔らかな感触を確かめるようにその腕の中に強く抱きすくめる。
もっともっとと思うけれど・・・このまま行きたくなくなってしまうに決まっている。
だから・・・名残惜しいけれど・・・ゆっくりとその柔らかく暖かな唇と体を離すと
しばらく見つめあったままで・・・。
ゆっくりと月森が歩みを進める。
何度も何度も振り返りながら。
大きく手を振る香穂子に小さく手を上げて応えながら。
香穂子の笑顔が見たい。
その喜ぶ顔を見るためなら・・・
どんなことでもしてあげたいといつもそう願っている。
毎年願いを飾る笹の葉。
願いが叶っていることに感謝の気持ちを持つと共に
そのために努力をすることが何より大切なことだとわかっているから・・・。
そしてできることなら香穂子の願いのすべてを叶えるのは自分であってほしい。
叶えてあげたい。
そう思っているから。
月森はキャンパスへと足を運びながら気持ちはすでに放課後の寄り道へと飛んでいた。
「遅い・・・遅いな。蓮くん」
香穂子は『もうすぐ帰るから待っていてくれないか』と打たれた
携帯の画面を見つめながらため息をついた。
声を聞くとすぐに会いたくて我慢できなくなる。
だからいつもこういう時はメールでやり取りするけれど
やっぱりかけてしまおうかな・・・。
そんな風に思った時だった。
玄関のベルが鳴る。
急いでドアに駆け寄って耳を澄ます。
「香穂子」
「蓮くん?」
待ちかねていた愛しい人の甘い呼び声に勢いよくドアが開けられる。
すると香穂子の瞳が大きく見開かれて・・・。
目の前に広がっているのはさやさやと揺れるたくさん笹の葉っぱ。
「ただいま、香穂子。遅くなってすまない・・・」
笹の葉がゆらりとゆれるとサラリとゆれる青い髪。
甘く優しくゆれる琥珀色の瞳。
会いたかった愛しい人の顔がのぞく。
香穂子の瞳にみるみる涙の海がせりあがってくる。
月森の瞳が大きく見開かれて・・・。
困ったように優しい瞳がゆれている。
「香穂子・・・泣かないでくれないか?
君の涙が見たかったわけじゃないんだ・・・。
君の喜ぶ顔が見たくて・・・」
月森の言葉に香穂子が大きく首を振る。
戸惑う月森の体に香穂子が飛びついていく。
「香穂子?」
「蓮くん・・・大好き・・・!」
「俺も・・・大好きだよ・・・」
2人の間で大きな笹がさわさわとゆれる。
笹の葉が2人の額、頬、唇をくすぐって・・・。
それでもかまわずぎゅっと強く一回り大きな月森の体を抱きしめる。
月森の溢れるほどの想いと優しさが・・・。
いつもこうして香穂子の胸を切ないほどに甘く優しく満たしてくれる。
いくら異国に慣れた月森だとしてもこの様子だときっととても大変だったに違いない。
キスしようと笹ごしに近づく優しく甘い琥珀色の瞳に胸いっぱいの幸せを感じる。
「笹・・・つぶれちゃうね。せっかく蓮くんが見つけてきてくれたのに・・・」
「香穂子・・・」
少しゆるめた腕の中からそっと笹を右手に持ち替えて
抱きつく香穂子の背中に左手を添えると暖かく優しい唇で
香穂子の柔らかな唇をそっと包み込む。
心地よい温もりと想いが重なる唇と合わさる互いの胸から伝わって
強く抱きしめあうたびにさわさわと笹がゆれる。
2人の願いごとは互いに叶えているじゃないか。
そう、語りかけているように。
いつまでも抱き合い口づけあう2人を見守るように。
いつまでもさやさやとゆれていた。
そしてめずらしく星のまたたく夜空に。
青と赤の短冊が結ばれた笹が幸せに満ちた部屋の窓辺の
小さなベランダでゆれていた。
赤い短冊には日本語で書かれた香穂子の願い事。
青い短冊には英語で書かれた月森の願い事が。
『ずっと蓮くんと一緒にいられますように』
『All of you overlap with all of eternity me.』
「ねえ、蓮くん。短冊にはなんて書いてあるの?あんな難しい英語、わからないよ」
「教えない。君が自分で読めるようになってくれないと・・・いけないな」
「いじわる。知りたいよ」
「俺の願いなんだ・・・。決まってるだろう?」
「蓮くん?」
「これがヒントだ・・・」
驚く香穂子の唇に月森の唇が重なり
その体もすっぽりと重なり合う。
熱い吐息と共に・・・。
七夕の夜に。
熱い想いが重なり合う。
2人の願いがかないますように・・・。
星に願いを。
君には愛を。
『君のすべてが未来永劫俺のすべてと重なり合っていますように・・・』
2006.7.9